千川上水の地理
どのようなことが問題だったのか、考えてみました。
玉川上水の流路上、東京都西東京市新町と武蔵野市桜堤との境界付近にある境橋(旧武蔵国多摩郡上保谷村地先)に分水口があり、ここから豊島区巣鴨まで、武蔵野台地上をほぼ東西に流れる。分水口付近の海抜は約64m、巣鴨付近は約23mであるから、落差は約41mとなる。なお、流路は台地上で、神田川(支流の善福寺川、妙正寺川等を含む)と石神井川との分水界をほぼ成している。
流路
分水口からまず武蔵野市と西東京市、武蔵野市と練馬区のそれぞれ境界に沿って流れる。やがて練馬区内に入って青梅街道を越えるが、ここから先は暗渠となり、上水に沿って「千川通り」(東京都道439号椎名町上石神井線)が走っている。西武新宿線上石神井駅?上井草駅間の鉄橋前後で開渠となる。この開渠部分を最後に暗渠となり、水路が地上に出ることは無くなる。練馬区と杉並区との境界、練馬区、中野区、練馬区と経る。この間にある西武池袋線中村橋駅の駅名はこの上水に架かった橋の名に由来する。豊島区に入り、南長崎でほぼ直角に曲がって北東に流れを変える。要町通りとの交差点付近に東京地下鉄有楽町線・副都心線千川駅がある。千川駅自体は要町にあるが、隣接して「千川」という地区がある。板橋区に入ると中山道に沿って流れ、北区を経て豊島区巣鴨に達する。
沿革
経緯
1696年(元禄9年)に江戸幕府将軍徳川綱吉により上水開削が命ぜられる。その目的は、「小石川御殿」(綱吉の別荘)、「湯島聖堂」(幕府の学問所)、「寛永寺」(徳川家の菩提寺)、「浅草寺」(幕府の祈願所)への給水であったとされるが、俗説として、「六義園」(綱吉の側用人・柳沢吉保の庭園)への引水も目的として挙げられている。
上水路の開削は、河村瑞賢が設計し、太兵衛・徳兵衛が工事に当たった。『御府内上水在絶略記』によれば、多摩郡仙川村出身の太兵衛・徳兵衛が開発を仰せつけられ、その開発の功により、仙の字を改めて千川として、両人の姓に賜った旨の記述があり、これが千川上水の名の由来とされてきた。しかし、太兵衛・徳兵衛の出自に諸説があり定かでないこと、また分水口のある境橋が仙川村(現在の東京都調布市東端から三鷹市南部にかけての一帯。村内を河川の仙川が貫流する)のすぐ近くにあったことなどから、仙川村を通した上水だったことに由来しているのではないかという説もある。
巣鴨に達した上水の水は、地中に埋められた木樋により、前述の5か所をはじめ、江戸の本郷、湯島、外神田、下谷、浅草などに飲料水として供給された。寛永寺への給水は、途中で谷田川の流れる谷を越える必要があり、密閉された樋による「サイフォンの原理」の応用で一度水を谷底まで落とし、掛樋で谷田川を渡し、寛永寺のある対岸の台地上へポンプなしで上げることができたとされる。
引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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